北野異人館 ~ 英国館
南京町から北野異人館へ移動しました。
南京町のブログはこちら↓
移動は読売神戸ビルの前に「南京町」のバス停があるので、そこからシティループバスに乗ります🚌
時刻表↓↓
シティーループ 神戸観光周遊バス (shinkibus.co.jp)
ガイドさんが乗っていて、バスの走る道々、解説してくれ、
添乗員付のツアーのようで、お店の案内もしてくれてとても参考になります。
外観はレトロでお洒落😊
バス停「北野異人館」で降車。
目の前には、チケット売り場があり、セット券を購入すると割引になるので、目の前に並ぶ英国館、洋館長屋(仏蘭西館)、ベンの家のセット券(1400円)を購入。
★英国館
英国館はコロニアル様式の建築で、中には17世紀バロック時代から19世紀ビクトリア時代にかけて英国貴族が使用していた高級家具・調度品が展示されています。
コロニアル様式とは、本国の古典主義建築に実用性を加味したものだとか。
2階にはシャーロック・ホームズの部屋が再現されているので、入口にはホームズのなりきりマントと帽子があり、みなさん羽織っていろんな所で写真を撮ってました。


中に入ると、とても豪華で重厚な家具や調度品の数々・・・。
世界の洋酒を取り揃えたバーカウンターがあります。
中には1000種類に及ぶ世界の名手コレクションがあり、
映画の世界のワンシーンのようです。
館には合計7つの暖炉と煙突が2つありますが、これらが、そのまま残っているのは英国館だけとのこと。


暖炉の上にウサギが・・・。これは「不思議の国のアリス」のウサギでしょうか。
「不思議の国のアリス」の作者はイギリス人ですものね。
2階にあがると階段上に甲冑型の椅子がありビックリ!
シャーロック・ホームズの部屋があります。
棚には古い写真が。当時のものでしょうか。


ホームズの部屋の前で、ふと上を見上げると、天井に人がいる! ワトソン君とホームズでしょうか?
見落としそうなポイントです。
2階は他にも部屋があります。
寝室にティーセットを並べたテーブルがあります。
英国では、日に何度もお茶を飲む習慣があり、朝は目が覚めたらベッドの中でお茶を飲みます。
これはなんと、旦那さんが奥さんにいれることが多いとのこと。
えっ、本当!? 信じられないですね~~。
外に出ると小さな庭があり、なんとロンドン地下鉄Baker Streetの駅を模したつくりに。
シャーロック・ホームズの住んでいた街ですね。


とても見どころいっぱいの館でした。
このあと、お隣の洋館長屋(仏蘭西館)へ行きます。
それはまた、別のお話で。
(つづく)
舞鶴~五老ヶ岳公園
舞鶴引揚記念館のあとは、「近畿百景」第一位選出の絶景 ということで、舞鶴最終の地は、五老ヶ岳公園にある五老スカイタワーです。
舞鶴引揚記念館についてはこちら↓へ
~舞鶴紀行行程~
海上自衛隊北吸桟橋→赤れんがパーク→舞鶴引揚記念館→五老スカイタワー
↑
今ここ
時間があれば寄ろう、というくらいの気持ちだったのですが、とても良かったですよ!
海抜300mのタワーに上ると、ぐるっと回って360度の景色を眺めることができ、
リアス式海岸をこんなに高いところから見たのは初めてです。
とっても美しい!
大江山といえば、
「大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立」の大江山ですね。
タワーの下からでも海は見えますが、タワーに上ると360度のパノラマの景色を楽しめます。
全ての行程で午前11時に着いて、午後5時には帰途についたので、6時間くらいで見て回れます。
歴史・自然にふれあえる街、舞鶴探訪に、ぜひ一度行ってみて下さい。
舞鶴引揚記念館
赤れんがパークから移動してきました。
舞鶴引揚記念館は、舞鶴赤れんがパークから車で10分ほどで到着。
かつて舞鶴は旧満洲や朝鮮半島、シベリアからの引揚者・復員兵を迎え入れる港でした。
舞鶴引揚記念館は太平洋戦争後、シベリアに抑留された60万人にものぼる人たちの過酷な労働や当時の生活などを写真、持ち帰った所持品、日記、メモなどの資料から当時の様子を広く現代の人に知ってもらおうと展示している資料館です。
展示している資料にはソ連兵に見つからないよう靴の中などに隠して持ち帰った3cmほどの小さなメモ帳や白樺の皮を薄く剥がして、そこに細い小枝の先に炭を水を混ぜたものをつけて書いたという白樺日記などがあります。
展示されているものはソ連兵の目をかいくぐり持ち帰れたものだけで、ソ連を出る際に没収されてしまったものもたくさんあるそうです。
ソ連兵に見つからないよう作った3cmほどの小さなノートには、故郷の土を踏むことなくシベリアで命を落とした仲間の名前や住所が書いてありました。
戦争が終わったというのに、東京とは反対方向のシベリア行の列車に乗せられ、極寒の地で労働をさせられ命を落とし、家族の元に帰れなかったとは、実に残酷なことです。
平和が大切であることはもちろんですが、非戦闘時(戦争終結後)も為政者によっては、かくも非人道的なことを行い、またその為政者に人間(この場合は兵隊)は当たり前に従うということに人間の残酷さを感じます。


強制労働をさせられたシベリアは零下30度にもなり、そんな日も1食400グラムのパンと具のないスープだけで、森林伐採や鉄道敷設工事を行ったそうです。
60万人の兵士たちのうち約6万人が、過酷な労働による病気や栄養失調で亡くなりました。
彼らは「ダモイトウキョウ(日本へ帰してやる)」という言葉でシベリア行の列車に乗せられたのです。
ただひとつ心温まったのは、抑留者の心の支えであったというクロという犬の話です。
クロは抑留者がシベリアで飼っていた犬です。
ある日、強制労働に行かされた先に捨てられていた子犬を見つけてラーゲリ(収容所)に連れ帰りました。
しかし、ソ連兵に子犬を元の所に捨ててくるよう言われます。
仕方なく、彼らは子犬を元の所に戻してきますが、翌日には戻した子犬が収容所に戻ってきています。
何度、戻しても数キロ離れているにもかかわらず、彼らの収容所に戻ってきてしまったため、
そのうちソ連兵も仕方がない、と何も言わなくなりました。
抑留者たちは自分たちの食糧も乏しい中、子犬に食べ物を分け与えクロと名付けて一緒に暮らしたそうです。
クロは抑留者にとって心の支えでした。
つらい生活の中で、犬の存在が慰めや温かい気持ちにしてくれる存在ができてよかった。
やがて抑留者たちは日本に帰れるようになったのですが、引揚船の出るナホトカの港にクロが現れて、去り行く船に向かって鳴き続けたそうです。
そして、ついに船を追って岸壁から流氷漂う海に飛び込み、氷の上を走り、海に落ち、氷に這い上がり・・・
停船した船に引き上げられ、舞鶴へ来ました。
詳しくは下記アドレスにて↓↓
(中)心支えた捨て犬「クロ」 : 戦後60年 : 企画・連載 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) (itscom.net)
子犬の頃から抑留者の方々と離ればなれにならずに船に乗れたなんて本当によかったです。
氷の海なんて一瞬で体が動かなくなるのに、無事に船に引き上げられてよかった。
この資料館は、あまり人けはなかったのですが、是非大勢の人に訪れて、シベリア抑留という歴史があったということ、彼らの生活がどんなものであったのかを知ってほしいです。
舞鶴赤れんがパーク
北吸桟橋で海上自衛隊の艦船を見学した後は、赤れんがパークに戻ります。
京都は南北に長いですが、京都縦貫道が出来たので舞鶴へは京都市内から車で1時間半で行くことができます。下道で行くと3時間以上かかる距離なんですけどね。
舞鶴赤れんがパークは、旧日本海軍の保管庫としてつくられた12棟からなるレンガづくりの倉庫群。
明治・大正時代につくられた当時の姿が、現代までそのまま残されているのは、たいへん珍しく貴重なため、重要文化財および近代化産業遺産に指定されています。
今は中にカフェや観光船の案内所などが入っています。


レンガ造りの建物はレトロであたたかく温もりを感じます。
ところで、レンガっていつ頃から、また、どうして日本で使われるようになったのでしょう?
レンガについて改めて考えたことなどなかったのですが、レンガを見てるとふと疑問に思いました。
ちょっと調べてみると、レンガはの世界4大文明(エジプト・メソポタミア・インダス・黄河)各々でほぼ同時期に発明されたそうです。
少し驚きですが、土は身近の素材ですしね。
そういえば、万里の長城も3匹の子豚の家もレンガですね。
日本では、幕末から明治にかけての文明開化の時期に西洋から入ってきました。
レンガのメリットは火事に強く、材料が腐らないためメンテナンスに手がかからないという点だそうです。
次は、海上自衛隊とともに今回の舞鶴行きのもう一つの目的地、舞鶴引揚記念館へ向かいます。

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海上自衛隊護衛艦「あさぎり」「あたご」見学
9月4日(日)、舞鶴で海上自衛隊の艦船が見学できるということで行ってきました。
舞鶴には、海上自衛隊舞鶴地方隊があり、毎月、1日だけ10時から15時まで見学が可能になります。
9月は4日が見学可能日でした。
場所は舞鶴市役所近く、舞鶴赤れんがパークから国道沿いを西に向かって5分ほど歩いたところにある北吸桟橋(北吸係留所)です。
車で行く場合は、北吸係留所には駐車場がないため、舞鶴赤れんがパークの駐車場に停めます(無料)。
赤レンガ倉庫群も旧海軍施設で見どころなのですが、北吸係留所が公開される時間が10時から15時までと決まっているので、まずは艦船見学に北吸係留所へ向かいます。
国道27号線沿いに歩くこと5分、最初の信号を右手に曲がると海上自衛隊北吸係留所があります。
受付で名前と、どこから来たのか都道府県のみ記載し、「見学者」の名札を首からぶら下げますが、
もう、目の前にドドンッと巨大な艦船が停泊しています!
その巨大さには思わず「おぉっ!」と感動と驚嘆の声が漏れます。
巨大すぎて全体が入らない!
だいぶ引いて撮ってみました。
この日、停留していたのは護衛艦「あさぎり」と「あたご」の2艦でした。
この日は、快晴で澄みきった青空に白い入道雲が元気よく巻き上げ、艦船がとても映える。
本当に巨大です。甲板に隊員の方がおられたのですが、人が豆粒みたいです。
甲板でドッジボール等、球技が出来そうです。
「あたご」ではレーダーが回っていました。
軍事オタクでも艦船マニアでもないのですが、実物を見ると本当にかっこいい!!!
それしか言葉が出てこない。
家族連れなど見学者がひっきりなしに訪れて、護衛艦の勇姿を収めていました。
自衛隊さん、災害時など、私たちの暮らしを守ってくれてありがとう。
自然に感謝の気持ちがわいてきます。
https://www.mod.go.jp/msdf/maizuru/kengaku/sanbashi.html
同じ日に、海軍記念館、東郷邸も公開されるので見学可能です。
東郷邸は、東郷平八郎が初代司令長官が2年間、過した官邸。和風と洋風の交じり合った建築。
海軍記念館は、旧海軍機関学校の講堂。旧日本海軍の資料が展示されています。
受付で団扇とクリアファイルをいただきました!
暑いので、この団扇は大いに役に立ちました。
このあと、舞鶴赤れんがパークに戻りますが、戻る途中のフェンスに護衛艦の写真が掛けられていました。
この日見た「あさぎり」と「あたご」もあります。



この後、舞鶴赤れんが倉庫群も見学しますが、それは、また次のお話で。
竹の小径~トロッコ列車
嵐山は、お寺がたくさんあり、大通りにはお土産物屋さんのひしめいていますが渡月橋から北げ5分程歩き、老松さん過ぎた所を西に入ると、ひっそりと「竹林の小径」といわれる細道があります。
一筋入るだけであたりは冷んやりとした空気に包まれ、青々とした背の高い竹が空に向かって真っすぐに伸びている様は幽玄な感じさえします。
人通りもそんなに多くはなく、時折り観光客を乗せた人力車が竹林の中を通ります。
生えているのが竹だけ、という風景は、見る人を不思議な気持ちにしてくれます。
風に揺れる笹の葉音を聞きながら、こういう所に住んでいる人が「かぐや姫」のお話を思いついたのかな、など、ふとそんな考えが湧いてきます。


12月に開催される嵐山花灯路では竹林の両側がライトアップされるので、その頃もまた風情がありそうです。


保津川下りで亀岡から嵐山までやってきたので、亀岡に戻らねばなりません。
トロッコ列車嵯峨駅まで歩きますが、駅舎前にはなぜか二宮金次郎像。


現代では「ながら読書」は危ないでござるよ・・・。
通行人も車も自転車も多いしね。
トロッコ列車は嵯峨駅が始発。全席指定なので窓際をお願いしました。
土曜日の13時の電車でしたが、満席でもなくギリギリの時間でも窓際をGETできました!
天井のライトも昭和というか大正というか、レトロな感じで良いのですよ。
窓外から、保津川の流れ、保津峡の渓谷を臨めます。行きは船で、帰りはトロッコ列車で保津峡を川面と崖の上からの眺めを堪能できます。
緑をくぐり、窓から入る涼風が心地よい。
youtu.be
あっちこっちで写メをとりまくり、25分ほどでトロッコ亀岡駅に到着。
トロッコ亀岡駅からはバス(京阪京都交通 [直行39] 保津川下り乗船場行)で11分ほどで乗船場に到着。
今回、私は、初めに保津川下りをして、嵐山からトロッコ列車で亀岡に戻りましたが、予定に応じて逆ルートでも可能です。