nenkoro’s diary

寺社仏閣めぐり、ブックレビュー等、日常の出来事をつぶやきます(*^^*)

舞鶴引揚記念館

赤れんがパークから移動してきました。

舞鶴引揚記念館は、舞鶴赤れんがパークから車で10分ほどで到着。

かつて舞鶴は旧満洲朝鮮半島、シベリアからの引揚者・復員兵を迎え入れる港でした。

舞鶴引揚記念館は太平洋戦争後、シベリアに抑留された60万人にものぼる人たちの過酷な労働や当時の生活などを写真、持ち帰った所持品、日記、メモなどの資料から当時の様子を広く現代の人に知ってもらおうと展示している資料館です。

収容所の再現(食事中) 右は監視しているソ連

展示している資料にはソ連兵に見つからないよう靴の中などに隠して持ち帰った3cmほどの小さなメモ帳や白樺の皮を薄く剥がして、そこに細い小枝の先に炭を水を混ぜたものをつけて書いたという白樺日記などがあります。


展示されているものはソ連兵の目をかいくぐり持ち帰れたものだけで、ソ連を出る際に没収されてしまったものもたくさんあるそうです。

ソ連兵に見つからないよう作った3cmほどの小さなノートには、故郷の土を踏むことなくシベリアで命を落とした仲間の名前や住所が書いてありました。

戦争が終わったというのに、東京とは反対方向のシベリア行の列車に乗せられ、極寒の地で労働をさせられ命を落とし、家族の元に帰れなかったとは、実に残酷なことです。

平和が大切であることはもちろんですが、非戦闘時(戦争終結後)も為政者によっては、かくも非人道的なことを行い、またその為政者に人間(この場合は兵隊)は当たり前に従うということに人間の残酷さを感じます。

再現された収容所の様子

息絶えそうな弱った仲間を心配しています

強制労働をさせられたシベリアは零下30度にもなり、そんな日も1食400グラムのパンと具のないスープだけで、森林伐採や鉄道敷設工事を行ったそうです。

60万人の兵士たちのうち約6万人が、過酷な労働による病気や栄養失調で亡くなりました。

彼らは「ダモイトウキョウ(日本へ帰してやる)」という言葉でシベリア行の列車に乗せられたのです。

 

ただひとつ心温まったのは、抑留者の心の支えであったというクロという犬の話です。

クロは抑留者がシベリアで飼っていた犬です。

ある日、強制労働に行かされた先に捨てられていた子犬を見つけてラーゲリ(収容所)に連れ帰りました。

しかし、ソ連兵に子犬を元の所に捨ててくるよう言われます。

仕方なく、彼らは子犬を元の所に戻してきますが、翌日には戻した子犬が収容所に戻ってきています。

何度、戻しても数キロ離れているにもかかわらず、彼らの収容所に戻ってきてしまったため、

そのうちソ連兵も仕方がない、と何も言わなくなりました。

抑留者たちは自分たちの食糧も乏しい中、子犬に食べ物を分け与えクロと名付けて一緒に暮らしたそうです。

クロは抑留者にとって心の支えでした。

つらい生活の中で、犬の存在が慰めや温かい気持ちにしてくれる存在ができてよかった。

やがて抑留者たちは日本に帰れるようになったのですが、引揚船の出るナホトカの港にクロが現れて、去り行く船に向かって鳴き続けたそうです。

そして、ついに船を追って岸壁から流氷漂う海に飛び込み、氷の上を走り、海に落ち、氷に這い上がり・・・

停船した船に引き上げられ、舞鶴へ来ました。

詳しくは下記アドレスにて↓↓

(中)心支えた捨て犬「クロ」 : 戦後60年 : 企画・連載 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) (itscom.net)

子犬の頃から抑留者の方々と離ればなれにならずに船に乗れたなんて本当によかったです。

氷の海なんて一瞬で体が動かなくなるのに、無事に船に引き上げられてよかった。

引揚船

この資料館は、あまり人けはなかったのですが、是非大勢の人に訪れて、シベリア抑留という歴史があったということ、彼らの生活がどんなものであったのかを知ってほしいです。

https://m-hikiage-museum.jp/