比叡山 延暦寺
延暦寺に行ってきました😊🌿🌿
比叡山は、滋賀県と京都府にまたがり眼下に琵琶湖をみおろせます。
高野山と並び古くから信仰対象の山とされています。
延暦寺はこの比叡山の東側に位置し、1,200年以上の歴史を持つ天台宗の総本山。
延暦7年(788年)に最澄が開創して以来、学問と修行の道場として宗派を問わず多くの僧が修行に訪れました。その中には、法然・親鸞・栄西・道元・日蓮など、後に日本仏教の新仏教を生み出す名僧も数多くいました。
延暦寺で修行をした後、法然は浄土宗を、親鸞は浄土真宗、栄西は臨済宗、道元は曹洞宗、日蓮は日蓮宗を開いています。
このように名僧が若き日に延暦寺で修行をしていることから、延暦寺は日本仏教の母山とも呼ばれています。
また、かつては「山」と言えば比叡山のことを指していました。
富士山ではないのですね。😮
「世の中に山てふ山は多かれど山とは比叡の御山(みやま)をぞいふ」
世の中には山と名づけられた山は多い。しかし、ただ「山」と言ったら、それは比叡山のことを指すこと以外にない、という意味です。
比叡山がいかに信仰された山であるかが、よく表れています。
延暦寺はかつて3,000を越える寺社で構成されていました。
延暦寺は大津市にある園城寺(三井寺)との長きにわたる抗争で、自然と僧兵(武装化した法師)が出現します。
その後、権威・財力・武力を伴い「寺社勢力」と政権からも恐れられるようになります。
結局、戦国時代に織田信長の焼き討ちにあい、延暦寺の堂塔はことごとく炎上してしまいました。
信長の死後、延暦寺の復興は進められ現在、東塔・西塔・横川に約150の堂塔があります。
今は東塔(とうどう)・西塔(さいとう)・横川(よかわ)の3つのエリアが見学できます。
東塔・西塔・横川の仏様はそれぞれ管轄する時制が異なっており、東塔は現在、西塔は過去、そして横川は未来を見ているそうです。
「健康でありますように」「願い事が叶いますように」といった未来については横川地区をお参りして、そこでお願いしなければならないとのことです。
西塔は過去についての懺悔を聞く仏様、東塔は現在についての仏様です。
まずは、東塔へ。階段を登ると延暦寺の山門にあたる文殊楼があります。
大講堂の前にはNHK「ゆく年くる年」で中継される除夜の鐘でもある「開運の鐘」があります。私もついてみました!🙂🙂
比叡山の山頂近くでは、京都市内より気温が5~6℃低いと言われていますが、山頂ではないですがここも本当に涼しいです。
延暦寺会館1階の喫茶「れいほう」を見つけて一休みします。
梵字ラテもあり、SNS映えするのでなかなか人気のメニューのようです。
法華総寺院と阿弥陀堂。
灯籠の並ぶ長い石階段を登ったところにあります。
次はすぐ近くの西塔に移動します。
東塔も空いていましたが、西塔はもっとひとけが少なかったです。
高い杉並木に囲まれ、静寂に包まれ落ち着いた雰囲気です。
下の写真は西塔の本堂にあたる釈迦堂(転法輪堂)。
延暦寺に現存する最古の建築物だそうです。
今回、横川までは足をのばせなかったのですが、延暦寺は1200年の歴史と伝統が高い評価を受け、ユネスコ世界文化遺産に認定されています。
たまには、歴史の旅に出てみるのもいいですね!
京都市内から車で行く場合は、東大路通り、田中里ノ前より東に入り山中越えで行きます。山中越えは道幅が狭いのですが、すれ違いやスピードの出し過ぎに注意すれば大丈夫です。
京都市内から大津へ抜ける車も結構、走っています。
くねくねした山道を走ること15分。比叡山ドライブウェイの入り口、田の谷峠料金所が見えてきます。
比叡山ドライブウェイは、走っていると途中で何カ所か検札所があり、そこを通るたびに料金が加算されます。延暦寺自体が比叡山ドライブウェイでしか行けないので、参詣を終えて帰りに出口で精算する仕組みです。
東塔と西塔は近いので徒歩でも行けます。東塔に車を停めて西塔に行けば奥比叡ドライブウェイに入らずにすみます。横川にまで行くのであれば、奥比叡ドライブウェイに入らなくてはなりませんが。
私はカーナビ通りに走って、東塔から西塔へ行くのに車で移動したため、検札を通り、値段が跳ね上がってしまいました。計画的に移動しないと、通行料で予想外に高くついてしまいますのでご注意を! ちなみに、ETCは使えません!
大徳寺 黄梅院へ
山門は千利休が雪駄を履いた利休像を安置し、豊臣秀吉の怒りを買って切腹の一因となったことでも有名です。
境内には仏殿や法堂のほか、24もの塔頭が立ち並ぶ広大なお寺です。大徳寺は村田珠光などの東山文化を担う者たちが一休宗純に参禅して以来、大徳寺は茶の湯の世界とも縁が深く、武野紹鴎・千利休・小堀遠州をはじめ多くの茶人が大徳寺と関係をもっています。
本能寺の変で自害した織田信長の葬儀が秀吉によって行われたのも大徳寺です。
天正17(1589)年には千利休によって山門・金毛閣が完成。
鎌倉幕府は既存宗門の勢力に対抗するため新興の臨済宗を保護する政策をとり、幕府の勢力下に入った荘園や領地の一部を寺社領として、その管理を禅寺に委ねました。
後醍醐天皇(鎌倉末期)は大徳寺を京都五山(天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)より上位に位置づけました。
さて、今回訪れたのは黄梅院。
小早川隆景により建立された表門をくぐると右手に蒲生氏郷公墓地、小早川隆景公墓所、毛利元就公霊所、小田信秀公霊所と彫られた石碑があります。
黄梅院は毛利家の菩提寺であり、毛利元就や小早川隆景、蒲生氏郷の墓があるのです。
ひとたび門をくぐれば、深い緑に包まれた静寂が広がります。
悠久の時が広く深い川のように現代まで流れているのを感じます。
さらに進むと唐門が現れます。これは本堂と同時期に建てられたもので重要文化財です。
本堂へは長い廊下の先にあります。
途中、小部屋があり椅子もあるので、そこから大きな灯籠が見えます。
本堂(重要文化財)は、天正16(1588)年に小早川隆景の援助により建立された方丈建築。
方丈とは、禅宗寺院特有の建築物で、住職の日常の生活の場である書院、応接間、仏間、住職がお勤めをする部屋、弟子を教える部屋の6部屋から成る建物のことです。
内部の襖絵は重要文化財である「竹林七賢図」や檀那の間の「西湖図」などがあります。
書院(自休軒)に、達磨大師の掛け軸が掛けられており、心落ち着く空間です。
承応元年(1652年)頃の建立。大徳寺を開いた宗峰妙超(大燈国師)の遺墨「自休」を扁額に懸けて軒名としたものです。
千利休の師・武野紹鴎好みと伝わる昨夢軒という4畳半の茶室もあります。
右は住持の寝室です。とても狭いですが、木戸に梅でしょうか桜でしょうか、花が描かれています。
簡素ななかにも心を和ませるものが施されています。
本堂に面して直中庭(じきちゅうてい)という庭があります。
豊臣秀吉の希望により瓢箪を象った池を配し、加藤清正が持ち帰った朝鮮灯籠が据えられています。
夏空を受けて爽やかでもあり、力強くもあります。
観光の人も少なく好きなだけ座ってひとり時間を楽しめます。
庫裏(重要文化財)
小早川隆景の寄進によって建立。いわゆる台所。
禅宗寺院の庫裏としては日本最古級のものだそうです。大きい釜ですね。
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今回、訪れたのは黄梅院ですが、広い境内には他にもたくさんの塔頭があります。
大徳寺の方丈(国宝)・唐門(国宝)・山門(重文)などもありますので、順番にまわってみるといいですね。
旧三井家下鴨別邸でお抹茶
猛烈にお抹茶をいただきたくて行ったお抹茶体験シリーズ。
これは、7月に行った旧三井家下鴨別邸です。
下鴨神社の「糺の森」を南に下ったところ、高野川と鴨川の合流地点の北岸に位置する豪商・旧三井家の別邸。
車で行っても川端通沿いに駐車場があります。一日の最大料金も安く設定されています。駅からでも駐車場でも歩いて10分もかかりません。
大正時代に、三井家11家共有の別邸として第10代の八郎右衞門高棟(たかみね)により建築されました。
主屋、玄関棟、茶室の3棟からなり、庭園にはひょうたん型の池、灯籠や巨大な鞍馬石が置かれた築山があります。
建物横には背の高い木があり、「星の王子さま」に出てくるバオバブの木のような樹形をしており、不思議な感覚におちいります。
お抹茶は、普段非公開の茶室でいただきます。
時間になるまで庭園を眺めながら待ちます。行ったのは7月中旬過ぎでしたが蓮の花がまだ咲いていました。
サルスベリも鮮やかな色を添えています🌺🌿🌿
お菓子は月ごとに内容が変わりますが、7月は二條若狭屋さんの蓮花和菓子と冷し抹茶。楽しみです😊
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🍏お抹茶をいただくにはホームページから予約が必要🍏
庭園にひょうたん池に咲く蓮の花をお菓子にしています。金箔がのっています❣
茶室の裏手から梅の花形の窓から円相窓、そして庭園が望めます。
こうした工夫も粋ですね🌺🌺🌺
お部屋に美人画のお軸。猫が描かれていますね🐱(=^・^=)
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旧三井下鴨別邸には6月にも行っています。
その頃は紫陽花の季節でして、ついでにその時の写真もアップしておきます🌺
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高台寺・圓徳院にてお抹茶
先日、高台寺に行ったお話を書きましたが、実はその前に圓徳院に行っていたのです。
今日はその圓徳院のお話を書きます。
圓徳院は高台寺の塔頭にあたり、秀吉亡き後、北政所ねねが過ごしたところです。
門を入ると母屋までつづく瑞々しい緑に包まれます🌿🌿🌿
あたりは静寂に包まれ四百余年前から時間がとまっているかのような錯覚に陥ります。
北庭は小堀遠州が手を加えたもので、桃山時代の代表的な庭園として当時の原型をそのままに留めています。
建物内部はとてもきらびやか。
襖には、金色の派手な松・竹・梅や雪・月・花を描いた襖絵や、白い龍の襖絵が飾られています。これは農民から武士へと成り上がり、天下統一を果たした秀吉の生き様と、秀吉が好んだ派手な文化を表現しています。
他にも秀吉に重用された長谷川等伯による水墨で描かれた樹木の襖絵も展示されています。
百鬼夜行展に因んでか、幽霊の掛け軸も飾られてました~😯
左は江戸時代初期の画家・丸山応挙によるものですが、応挙は初めて足のない幽霊を描いた画家です。
ところで、幽霊っていつ頃から人々の概念にあったのでしょうか――。🤔
日本最古の歴史書「古事記」(奈良時代完成)には、死者が行く黄泉の国の存在が描かれています。死後の世界についての概念はこの頃からあったようです。
幽霊が怪談の中で悪霊として描かれたのは平安時代に入ってからで、「今昔物語」に描かれています。その後、能や歌舞伎などでも扱われ、江戸時代になると庶民の間で大流行。
「雨月物語」や日本三怪談「四谷怪談」「皿屋敷」「牡丹燈籠」が成立します。
怪談も庶民の間では娯楽だったのですから、それまでの戦乱に明け暮れた時代と異なり、人々の生活も落ち着き、文化が発達したということなのでしょうね。
左の絵は、おどろおどろしい姿をしていますが、右側はちょっとかわいらしい感じ❓
右図の香炉で描かれていいる文字は「幽界尚迷」。「現生で迷うだけでなく、あの世でも尚さまよう魂」という意味だそうです。
他にも江戸時代後期に刊行された妖怪の画集「さらし百鬼夜行図」等、お化けに関するものが展示されています。親しみがもてて、どこか愛嬌があります。
さて、圓徳院は北庭を眺めながらお抹茶がいただけるとのことで、やってきたのですが、歩を進めましょう。
奥へ行くと極楽浄土と地獄を描いた面白そうな屏風もありました。
北書院北庭(国指定名勝)
桃山時代の代表的庭園のひとつ。各地の大名から献上された200以上の庭石を用いて造られた枯山水庭園。石組み名人・賢庭作、後に小堀遠州が手を加えています。
岩をたくさん配し、とても力強い印象です😊
庭を眺めながらお抹茶をいただきます☕🍡
お菓子は秀吉の馬印、千成瓢箪にちなんで金箔をのせた瓢箪型の羊羹。
ところで、秀吉と瓢箪って、どういう関係があるのでしょうか――。
秀吉は若い頃、美濃の稲葉山城(現在の金華山・岐阜県)を攻めました。この時地元の野武士をたくさん見方につけて勝利しました。
その際、野武士たちとの独自の合図として「瓢箪を振る」というポーズを攻めこむ合図としたそうです。
この戦に勝利し、縁起がいいと気に入った秀吉がその後、武功をあげるごとに一つずつ瓢箪の数を増やしていき千成瓢箪となったと言われています。
お部屋には妖艶な女性の掛け軸。艶やかなその姿をよく見ると
着物の柄が地獄絵なんですね・・・😱😱😱
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北書院を出ると、秀吉の念持仏である三面大黒天を祀るお堂がありました。
三面大黒天とは、大黒天、毘沙門天、弁財天が三位一体となった神様です。正面と左右と3つの顔がついているのです。
大黒天=福の神、毘沙門天=勝利と子宝、弁財天=学問と教養の神 と、秀吉がこれと出会ってから、天下人への道を歩んだことから、出世守りとされています🍀🍀
近くに、掌美術館もあるので、せっかく高台寺を観ようと思うなら、共通拝観券でいっきに高台寺・圓徳院・掌美術館の3つを回ると全体がよく理解できお勧めです🌺🌺🌺
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京の花街・上七軒納涼ビアガーデン
今日は上七軒のビアガーデンに行きました。
上七軒とは京の五花街(祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒、祇園東)の一つです。
その中でも上七軒は、京都最古の花街です。
北野天満宮東の参道に面しており、上七軒歌舞練場という建物です。
そもそも、上七軒とはどのようにして出来たのでしょうか――
室町時代、北野天満宮の一部が焼失しました。それを再建した際に余った資材で、七軒の茶屋を建てたのが始まりです🥀
「上七軒」という名前の由来にもなっています。
天満宮へ参詣する人にとって、近くにお茶屋があると、ちょっと一息休憩するのに丁度よいですね🍵🍡
その後、豊臣秀吉が北野天満宮で「北野大茶湯」という有名な大茶会を開いた際には、秀吉はここを休憩所として使いました。その際、茶店側が団子(御手洗団子)🍡を献上したところ秀吉はそれをたいそう気に入り、褒美として、七軒の茶屋に御手洗団子を商う特権と、山城一円の法会茶屋株(公的な茶屋の営業権利)を与えました。これが、お茶屋の始まりであると言われています。🍵
また、織物の街・西陣の奥座敷という立地から、西陣織の最盛期には、織物屋の旦那衆が上七軒のお得意様となりました。
上七軒歌舞錬場という建物なのですが、ここを利用したビアガーデンは80年前から行われており、このコロナ禍により、2年ほど中止していました。
今年は3年ぶりの開催です😀
満を持して予約して行っていました❣
中に入るとさっそく緋毛氈の敷かれた廊下に涼を呼ぶ提灯がずらりと提がっています。
中庭を囲むように縁を兼ねた廊下があります。
案内されたのは縁側のテーブル席。ビールとつきだしが出てきます。
芸妓さんや舞妓さんが定期的にご挨拶とお話をしにきてくれました。この時、一緒に写真をとることもできます。
陽が落ちてくるといい感じになってきます。
今年は10月8日~22日まで「北野をどり」が披露されるそうです。
夜は北野天満宮にぶらりと立ち寄ってみました。夜も意外とお参りの人がいるものです。
七夕飾りは一服の清涼剤🎋✨
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高台寺にてお抹茶
高台寺は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。豊臣秀吉の正室である北政所が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院です。北政所はねねの名でも知られていますが秀吉亡き後、仏門に入ってからの名が高台院であり、寺の名はその院名にちなんでいます。
高台寺には重要文化財である観月台、霊屋、茶室傘亭と時雨亭、2つの茶室をつなぐ土間廊下、開山堂、加藤清正によって建てられた表門(伏見城より移築)があり、庭園は小堀遠州作で2つの池を擁し、桃山時代を代表する庭として知られています。
今の季節は、青々とした芝生に緑の松、そしてサルスベリの花がよく映える。
夏空のもと、とても爽快な眺めです。
高台寺に入ってすぐのところに遺芳庵という茶室があるのですが、これは灰屋紹益が妻として迎えた吉野太夫を偲んで建てたもの。吉野太夫は14歳で太夫になり、26歳で紹益と結婚。そして38歳の若さで亡くなっています。大きな窓が特徴で吉野窓と呼ばれています。
灰屋紹益は商人であるとともに文化人でもあったのですね。
方丈(本堂)の近くにあるのですが、高台寺に入り樹々に囲まれて看板もなくひっそりとあるので、うっかり通りすぎてしまいそう。しかし、この大きな円相窓はひときわ目をひきます。
さて、肝心の本堂である方丈は周囲になんと可愛い提灯がぶら下げられていることでしょう😀 高台寺では百鬼夜行展にちなみお化け提灯をつるしています。納涼に良いですね🤗
霊屋(おたまや・重要文化財) - 方丈から庭園を超えて少し登った高台にあります。秀吉と高台院を祀っており、内部は中央の厨子(平素、扉を閉じている)に大随求菩薩像を安置し、右に豊臣秀吉の坐像、左にねねさんの片膝立の木像が安置されています。狩野永徳による絵のほか、厨子の扉には秋草、松竹など、須弥壇には楽器などの蒔絵が施されています。長い年月を経ているので色褪せていますが、当時は豪華なものだったのでしょう。往事が偲ばれます。
高台寺にある高台院所有とされる調度品にも同じような蒔絵が施されており、これらは高台寺蒔絵と言われています。
ここ霊屋のねね様の木像の下には、実際にねね様のご遺体が埋葬されているそうです。
拝観する所とはガラスで隔てられているのですが、温度・湿度管理がなされているのかと思いきや、案内の方に聞いたところそうではないらしいです😶
コロナのせいか高台寺に限らず、どこのお寺も空いています😊
そして、夏の青空に白い入道雲がとても映える☀️☁️
さて、重要文化財である茶室、傘亭・時雨亭に歩みを移してみましょう。
こちらも、同じく高台にあります。
傘亭(茶室・重要文化財)は宝形造茅葺きの素朴な建物で、内部の天井が竹で組まれ、その形が唐傘に似ているところから傘亭という名がついています。千利休好みとも伝えられていますが、傘のような屋根からなる茶室はとてもユニークですが、全体的に簡素の佇まいで、なるほどわびさびの茶人、利休好みであるなと感じました。
傘亭と、土間廊下でつながった、もう一つの茶室が時雨亭。
これも、利休好みと伝わるもので、珍しい2階建ての茶室です。高台院は慶長20(1615)年の大坂夏の陣の際、この2階から燃え落ちる大坂城の天守を見つめていたといいます。秀吉が一代で築いた政権、権力の象徴である大坂城、秀頼の敗北をどのようなお気持ちで眺めていたのかでしょうか。
帰りにふと見ると雲居庵という休憩所がありました。
ここでお抹茶がいただけるとのこと。🍵
天目台のお茶碗で庭を眺めながらホッと一息。
女将さんもとてもお話上手でお茶に関するお話で楽しいひと時を過ごせました。
帰りは寧々の道へ続く階段を木漏れ日の落ちる石階段をくだります。
この階段もとてもいい感じで、皆さん写真に収めていました🌿🌿🌿
観光客も少なく、今の京都はお勧めですね。
『グロテスク』桐野夏生著 ブックレビュー
桐野夏生著『グロテスク』読了。🍀
桐野夏生さんの本は中年女性の心情を描くのを得意とするのか、中年女性を主人公としている作品が多い。桐野夏生作品を読むのは、『だから荒野』『夜の谷を行く』『東京島』『柔らかい頬』に次ぐ5冊目である。
どれも章ごとに登場人物各々の視点から同じ場面が語られる。人は同じ場面を共有しても自分の視点からしか物事をとらえず、それが全てだと考える。
しかし、桐野さんのこの手法で描かれた本を読むと、こうも人により見方やとらえ方が違うものかと新鮮な驚きと発見なのだが、考えてみると人により立場も性格も異なるのだからさもありなん、ということだ。
だから、章の数だけ、登場人物の数だけ物語があることになる。1粒で2度おいしい、といった感じ。2度どころじゃないのだが。
さて、『グロテスク』は1997年に起きた東京電力OL殺人事件をモチーフにしている。一流企業に勤務し、社内で高い役職をもつ高学歴女性が、退社後は夜の街に立ち自ら客引きを行い売春をし、安アパートで変死体となって見つかった事件。今から20年以上の事件であるが、その昼の姿と夜の姿のギャップの大きさは世間に衝撃を与え大々的に報道された。私もこの事件のことはよく覚えている🙄
さて、本書ではその事件をモチーフにして平凡な主人公、主人公の美貌の妹、高校時代の友人達の来し方を描いている。
中でも、容疑者となる中国人の反省文と言われる手記は、過酷な中国での生活が描かれ、これだけでも本になりそうな読み応えのあるパートでした。
後半では、美貌の妹ユリコの子供が登場しますが、その子の名前が百合男というところでぶっ飛びました。『東京島』では、主人公が壮絶な生き残り競争の末に双子を産む。終盤で突如現れたフィリピン人歌手グループが歌っていたアバの「チキチータ」があり、双子の名前がチキとチータ。
これもぶっ飛びましたが😲 『東京島』も1945年に実際に起きたアナタハンの女王事件をモチーフにしています。
情景描写や心理描写など絶妙にうまく、桐野夏生さんの作品を読むと映画を観るように情景を浮かんできます。ラストはえっ???( ;∀;) と驚く意外なもので、う~ん、今回は納得できないなぁ。