大徳寺 黄梅院へ
山門は千利休が雪駄を履いた利休像を安置し、豊臣秀吉の怒りを買って切腹の一因となったことでも有名です。
境内には仏殿や法堂のほか、24もの塔頭が立ち並ぶ広大なお寺です。大徳寺は村田珠光などの東山文化を担う者たちが一休宗純に参禅して以来、大徳寺は茶の湯の世界とも縁が深く、武野紹鴎・千利休・小堀遠州をはじめ多くの茶人が大徳寺と関係をもっています。
本能寺の変で自害した織田信長の葬儀が秀吉によって行われたのも大徳寺です。
天正17(1589)年には千利休によって山門・金毛閣が完成。
鎌倉幕府は既存宗門の勢力に対抗するため新興の臨済宗を保護する政策をとり、幕府の勢力下に入った荘園や領地の一部を寺社領として、その管理を禅寺に委ねました。
後醍醐天皇(鎌倉末期)は大徳寺を京都五山(天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)より上位に位置づけました。
さて、今回訪れたのは黄梅院。
小早川隆景により建立された表門をくぐると右手に蒲生氏郷公墓地、小早川隆景公墓所、毛利元就公霊所、小田信秀公霊所と彫られた石碑があります。
黄梅院は毛利家の菩提寺であり、毛利元就や小早川隆景、蒲生氏郷の墓があるのです。


ひとたび門をくぐれば、深い緑に包まれた静寂が広がります。
悠久の時が広く深い川のように現代まで流れているのを感じます。
さらに進むと唐門が現れます。これは本堂と同時期に建てられたもので重要文化財です。
本堂へは長い廊下の先にあります。
途中、小部屋があり椅子もあるので、そこから大きな灯籠が見えます。
本堂(重要文化財)は、天正16(1588)年に小早川隆景の援助により建立された方丈建築。
方丈とは、禅宗寺院特有の建築物で、住職の日常の生活の場である書院、応接間、仏間、住職がお勤めをする部屋、弟子を教える部屋の6部屋から成る建物のことです。
内部の襖絵は重要文化財である「竹林七賢図」や檀那の間の「西湖図」などがあります。
書院(自休軒)に、達磨大師の掛け軸が掛けられており、心落ち着く空間です。
承応元年(1652年)頃の建立。大徳寺を開いた宗峰妙超(大燈国師)の遺墨「自休」を扁額に懸けて軒名としたものです。


千利休の師・武野紹鴎好みと伝わる昨夢軒という4畳半の茶室もあります。
右は住持の寝室です。とても狭いですが、木戸に梅でしょうか桜でしょうか、花が描かれています。
簡素ななかにも心を和ませるものが施されています。





本堂に面して直中庭(じきちゅうてい)という庭があります。
豊臣秀吉の希望により瓢箪を象った池を配し、加藤清正が持ち帰った朝鮮灯籠が据えられています。
夏空を受けて爽やかでもあり、力強くもあります。
観光の人も少なく好きなだけ座ってひとり時間を楽しめます。


庫裏(重要文化財)
小早川隆景の寄進によって建立。いわゆる台所。
禅宗寺院の庫裏としては日本最古級のものだそうです。大きい釜ですね。

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今回、訪れたのは黄梅院ですが、広い境内には他にもたくさんの塔頭があります。
大徳寺の方丈(国宝)・唐門(国宝)・山門(重文)などもありますので、順番にまわってみるといいですね。