nenkoro’s diary

寺社仏閣めぐり、ブックレビュー等、日常の出来事をつぶやきます(*^^*)

ノスタルジー

先日、BSで「昭和は輝いていた」というテレビ番組があった。

途中からしか見ていないのだが、昭和を回顧し良き時代として振り返るものだった。

歌にしろ映画にしろ、定期的に昭和を振り返る番組がある。

なぜ昭和は輝いて見えるのか?

それは、昭和世代の視聴者に向けた番組で、昭和世代だけがそう思っているだけだろう。

恐らく、平成生まれの人たちは、その番組を見ても「昭和は輝いてみえる」などとは思わないのではないか?

現に、歴史として振り返る番組はあっても「明治はよかった」「大正はよかった」という番組はないのだから。

 

「昭和はよかった」と思うのは、一種の懐古主義である。

昭和を幼年時代、青春時代を過ごした年代には「良き時代」として思い出されるのだろう。

自分の生きるうえでの土台を築いた時期に過ごした生活環境をある時ふと思い出し、懐かしむ気持ちは誰にでもある。

時間は一方通行。

過ぎ去ってもう戻ってはこないのだから、よけいに感傷的にさせてくれる。

世の中は絶えず進化し、メーカーはより手のかからない製品を開発し、私たちはその度に不便な製品を手放してきた。生活も便利になった。

20~30年経って、ふと振り返って、以前の不便さは思い出さなくても、その当時の情感だけは想い起す。

失くしたものへのノスタルジーだろうか。

携帯は一つで何役もこなし便利で手放せない。しかし、「東京ラブストーリー」のオープニングで改札前の公衆電話で電話をかける人の列を見て、当時の自分を思い出し、懐かしくも感傷的な気持ちにさせても、その頃の電車を降りるやいなや、改札前の電話を奪いあい、それしか連絡手段がなかった生活には一日たりとも、いや一時間たりとも我慢できない。

利便性に欠けてもある時代が「懐かしい」と感じるのは、技術や製品などが進化しライフスタイルを変えていったからだろう。

私たちは品質の良いものを入手でき、生活が便利になり自由に使える時間が増えた。

なかでも私が便利になったと思うことは、知識の入手である。

昔は疑問や調べたいことがあったら、学校の先生に聞くか本を買うしかなかった。あるいは図書館へ出かけて本で調べるのである。

それが知識の源であり、些細な事でも、知識を仕入れるには時間と手間がかかった。

 

しかし、今はインターネットで、本を買わなくても瞬時に答えが引き出せる。

インターネットの普及も、初めの頃はダイヤル接続で、「いつも電話しても話し中だ」などと言われる時期を経て、それが、ISDNになり、いまや寝ながらでもスマホを触れば、ありとあらゆる情報が入手でき、Yahoo知恵袋で悩み事相談まで出来るのだから、この手軽さは今の時代の恩恵である。

 

果たして、こんな便利だと思う世の中も、20年もすればレトロな風物詩と想い起されるのだろうか?

令和の時代を懐かしむようほどに変わった未来の世の中、さらに進化し続ける世の中を見てみたい。